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98歳義母「特養」介護体験記|コロナ禍の特養介護生活と2介護施設での費用を11記事で回想


まず、駆け足で、義母の2015年からの5年間のサ高住における介護生活体験を振り返ります。

同居していた義母が、93歳の2014年12月上旬に、左足大腿骨骨折で急性期病院に入院し手術。
地域包括の連係で、リハビリのため回復期病院に転院。
入院中に要介護度の認定を申請し、翌18年1月に要介護1と認定。

私の妻も、心身ともに不安を抱えていたため、家に戻って在宅で家族介護をすることは共倒れになるリスクが非常に高いと判断し、退院と同時に、高齢者施設にそのまま転入することに。
本人は、家に帰ると、相当抵抗しましたが、私がなんとか説得。

数カ所見学したサービス付き高齢者住宅と特養のうち、自宅から近く、2015年8月に開所したばかりの新しいサ高住と契約。
(特養は、その当時には要介護3以上という条件はなかったのですが、1年以上待ちは当然だったので選択肢としては早々に排除。)

2015年3月下旬に介護タクシーに乗せて、そのままサ高住に直行し、新しい生活に入りました。
要介護度については、歩行器を使えば、ほとんど自力で自身の身の回りのことはできる状態。
当初は、家に帰りたいと言っていたのですが、周囲に人がいることで張り合いも出て、時々、物を取られたなどの被害者意識が出たのですが、なんとか慣れてくれて安定した生活を送ってくれました。

この骨折からサ高住入所、そしてその生活がなんとか軌道に乗るまでの介護体験を、当時、介護に特化したサイトに掲載。
そのサイト廃止、別サイトへの引っ越し、そして先日5月1日当サイト開設と同時に、このサ高住生活と介護体験を<第1フェーズ>シリーズとして終えています。
⇒ 93歳義母「サ高住」介護体験記|2015年の記録と気づき – 介護終活.com

義母の食生活の特徴的は、毎朝食はトーストにスライスチーズを乗せて焼いてもらって食べること。そして、毎食後リンゴを食べること。もう一つ、指定のバナジウム天然水のペットボトルの水を毎日飲むこと。

このスライスチーズと、皮を向いて1個を6分割したリンゴと水を手配するのはこちら。
水はネットで発注し施設に直送しますが、食べ物の方は、定期的に持っていく生活です。

歯もすべて揃っていて自分の歯。
勝ち気で、見栄っ張りで、他人とあまり交わりたくなく、一人で部屋にいることを好む性格。
そのせいか、翌々年2017年の認定区分更新時には、要介護1が要支援2になってしまうほど。
ただ、デイサービスを利用することも当然嫌っていたので、要介護1の時でも利用限度額にはかなり余裕がある状態でした。そのあtめ、受けうるサービス単位が少なくなることにまったく影響はありませんでした。
そうは言っても、齢を重ねていき、次の認定更新時2018年には、要介護1に戻り、また安定レベルに。
次の認定更新時期は、初めて2年後となり、2020年1月に行われる日程。

しかし、2019年11月22日にサ高住から、左大腿骨が折れているようなので、救急外来に受診に行って欲しいとの連絡。
翌23日に介護タクシーを利用して急性期病院に行き、受診し骨折を確認。
ここから一気に生活が一変することになりました。

ところで、この大変化の予兆とでも言えるでしょうか。
やはり寄る年波に逆らうことができず、2019年に入ってから、サ高住経営者である主治医から連絡が入り、他の病院を外来受診するよう要請が来る機会が増えました。

年前半に、背中の皮膚の状況が良くないということで、紹介された近くの皮膚科を外来受診。
このときはまだ元気だったので、車に乗せて、歩行器を持参・利用して受診。
幸い大したことはなく、処方された薬の塗布を継続することになり、1回の受診でとどまりました。

次に、8月下旬、同医師から時々意識・記憶が薄くなりボーッとしていることがあり心配なので、救急外来に行って詳しい検査を受けて欲しいとの連絡。
8月27日に大雨の中、検査を受けに行き、翌日28日に、慢性硬膜下血腫の疑いがあると診断。
特に治療は行わず、1カ月程度後に再度検査を行うということで、再診予約。
9月25日に再度検査をした結果、血腫は消えており、一過性のものだったと。一件落着。

※8月27日撮影画像

※9月25日再撮影画像:上の画像の右周縁部にある陰が消えている

9月の慢性硬膜下血腫の疑いの恢復後、又普通に日常生活を送っていました。
ところが、前述のように11月22日に、サ高住から連絡が。
前日21日に転んで動けずにいたのを発見。
左足大腿骨が骨折したようなので、救急外来に行って欲しいとの連絡。

翌23日に介護タクシーで病院に行き、即検査し、その日に入院し基礎的な治療を実施。
骨折は間違いないが、手術をするかしないかの判断が必要に。
医師団は、年齢を考慮すると、手術は生命の危険が伴うのでせずに、そのまま保存する方法を提示。
本人の希望を確かめると、もう手術するのは嫌、ということで保存治療を選択。

この時点で、歩行器での歩行は不可能になり、生涯車椅子での生活を余儀なくされることに。
11月29日に退院し、サ高住に戻りました。
同日ケアマネージャーと打ち合わせを実施。ケアマネージャーから、市に要介護区分認定変更の申請を出して頂くことを確認。
12月からの要介護3以上を想定しての介護サービス計画の立案を併せて要請。
施設にもその対応を依頼しました。

下の画像で、2回目の骨折の状況が分かります。
白く映っているのが、2014年の1回目の骨折で手術した人工骨頭及び繋いだ部分。
その下の先端の右に、細く亀裂があるのが2回目の骨折部位です。



しかし、退院後しばらくして12月12日に、骨折部分が、太股に突き出してきて、外に飛び出す心配があるので、急性期病院に予約してあるので行くよう再度要請。
急ぎ翌日、介護タクシーで病院へ行き、レントゲン撮影。
その画像が以下です。
骨折部分が、外に向かって突出。
これが大きなコブのように、太ももから盛り上がり、痛々しい状態に変化していました。

この変化を受けて、再度手術すべきかどうか、外科に詳しい家族も交えて再度相談。
やはり手術では輸血が必要であり、体力的にも年齢を考えると命そのものが危険であること。

痛みに耐えて生活できるならその方がよく、本人もそちらが良いということで、やはり手術はしないことに決定しました。
ただ、その決定について、サ高住経営者でもある主治医(内科医)は、手術すべきという意見で、こちらの結論に至った経緯・理由などを、18日に直接会って伝える機会を持たざるを得なかった難しい状況だったわけです。

この間、12月16日に、サ高住で、市の担当員による区分変更申請に基づく面接審査を受けました。
そして年の瀬も迫りつつある26日に、要介護3よりも重い要介護4の認定決定報告を受け取りました。
これを受けて、翌日には、かねてから妻と決めていた入所希望の特別養護老人ホーム事業所を訪問し、入所希望を手続き。
しかし、この事業所は2か所特養を経営しているのですが、どちらも1~2年くらいは待つ必要があるとのこと。

いずれにせよ、サ高住生活にかかる経済的な負担は大きく、1日も早く特養に入所できることをかねてから希望。
しかし、そのためには、要介護1では絶対実現不能で、まずは要介護3にならなければ入所申し込みさえできなかったわけです。
10月に98歳になってまもなくの11月に2度目の骨折。
そして要介護4への変更。
特養入所が、実際いつになるのかは、この時点では分かりません。経済的な不安解消の目処も立たなかったわけですが、一応実現の可能性が生まれた上で、新しい年を迎えることになりました。

次回、サ高住退所に至るまでの経過と5年間お世話になったサ高住に関する意見感想等を報告したいと思います。

(以上2020年7月6日、記)

入居契約の条件として示され、契約書にも記されていた、施設入所中における、外部病院への入所者の外来診療受診要請に対する家族責任。
当然想定しておくべき事態であったので、それが私の責任、と何度か対応しました。
それが可能であったことが施設利用決定・決断の理由の一つだったわけです。
しかし、現実的に、それが不可能な事情・状況にある家族が多いのではと思います。

この条件は、サ高住入所の場合に限らず、この後経験する特養入所においても同じことでした。
対応できなければ、大半の入所型老人介護施設を利用することができないことになります。

言い換えれば、入所型施設介護を拒否し、在宅介護を強いる、在宅介護を奨励する政府政策に従ったルールという側面があるわけです。
いきなり唐突なことを言ったように受け止められるかもしれません。
実は、施設の都合、特に介護職員の負担を増やさないため、人的対応を強いる緊急時対応を回避するため、と理由はある程度想像し、理解できるものです。
しかし、現実的に、介護を担う家族に負担を強いることになります。また想像力を働かせると、在宅介護を強い、介護離職をも強いる要素・遠因にもなりうるのです。

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