新型コロナウィルス感染症危機始まり時期の異常事態での98歳義母の特養入所決定から入所まで

2020年1月から3月にかけての特養入所申込みから決定まで、そして5月1日入所までの説明会や入所準備。
その時期・期間は、ちょうど新型コロナウィルス感染症の急増・急拡大で、日本のみならずグローバル
社会が大きな危機に瀕し始めたその時と完全に重なるものでした。
この時の詳しい事情・内容を今回回想します。

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少し遡ってのことになりますが、市から、要介護4へ認定区分が変更になったことの通知を受け取った翌日、昨年2019年12月27日に、当初から入りたいと思っていた特養を運営する社会福祉法人に入所を申込み。
しかし、2つの特養を運営しているが、どちらも空きがなく、早く空いた方に入所をお願いしましたが、1~2年程度待つ必要があるとのことでした。
その申込みには、介護保険被保険者証・介護保険負担割合証・後期高齢者医療被保険者証・後期高齢者医療限度額適用・標準負担額減額認定証等の他、申込者の身分確認可能な運転免許証などが必要です。
一応、かかる費用の概略も説明を受けました。
以下の表がその時の利用料金表です。
通常の市民税納税者の場合は、要介護4で、基本利用料は、月額132,710円、市民税非課税者は89,570円。
サ高住に比べ、相当負担が減ります。


この後、今年に入って、どうせ1~2年待ちならば、できるだけ多くの特養に申し込んでおくべきと方針を変え、1月29日に、比較的自宅近くに複数の特養を運営する社会福祉法人の一つの事業所を訪問し、やはり空きが出たところに入所できるよう申込み。
ただそこで、今年5月に新しい特養の開所が予定されており、応募も受け付けているので、新設特養責任者に連絡してみてはと勧められました。
昨年の10月くらいから申込受付が始まっており、もうすべて決まっているのではと思いつつも、数日後の2月1日にコンタクトが取れ、まだすべて決まってはおらず、面接します、とのこと。
2月10日にサ高住に来て頂いて面接審査を行うことが即決まり、実施。
義母の脚の状況・事情の説明や確認、本人の意識や認知状況の確認や意思疎通などを実施。
終わった後、「入所できると思います」という何とも嬉しい言葉。
入所者の最終の決定会議が2月20日にあるので、決まれば書面で連絡します、とのことでした。
もし本当なら、1~2年待ちを覚悟していたものが、トントン拍子もいいところ、半年足らずで実現することに!
まさに、アンビリーバブル!
その通知が来る日が随分先のことのように感じられ、日々、正直な所疑心暗鬼でその日を待ったのです。
そして、運命の日、2月22日、ゾロ目の日に、以下の決定通知を受け取りました!

その後、3月17日に特養より、4月19日実施の入居手続き説明会についての案内が着。
ちょうど、新型コロナウイルス感染症の拡大が大きな問題になってきた時期での説明会に。
当日の感染症予防対策についての連絡書面も同封。
他、当日持参すべき、サ高住に作成・準備を依頼する健康診断書、主治医から特養嘱託医宛紹介状、服用中薬剤等リストや、健康保険証・介護保険証・負担割合証等の基礎証書類などの連絡など記されていました。
入所に当たっては、車椅子は、入所者専用のものを用意すべきこと、利用料など支払いは、特養指定の金融機関(信金)からの引き落としのため、指定機関に口座を持っていない場合、新たに開設を必要とし、発行された通帳は施設保管となることを聞かされていました。
また、4月7日に受け取った案内には、5月1日以降の入所については、コロナ感染対策として、1日に5名ずつのみ入居を受け入れる旨ありました。

4月19日、説明会当日。
施設入り口で、検温・健康状態の申告、手洗い・うがいなど、基本のコロナ対策を行って、説明会場へ。
始まる前に、義母が入る部屋を見学。
29人定員で、10人1ユニット構成で、ABC3つのユニットの内のCユニットの10号室で、一番端の、希望していた明るい部屋を割り当てて下さっていました。
そして説明開始。
始まったのはいいですが、コロナ対策で、全室窓と入り口扉、廊下の窓などすべて開けっ放し。
その日は好天で、外はかなり温かかったのだが、館内は寒風吹きさらしの状態。
テーブルが設置されているのが廊下で、三密を避けて、相当の前後の間隔。
挨拶・説明する人は、ユニット単位のスペースの仕切りの向こうで、顔も見えない。
始まってすぐに、私の背後に遠く離れている窓ガラスのカーテンが大きく揺れていて戸を閉めてもらったが、寒さは収まることなく、身体がガタガタ震えてくる。
コロナ対策も過剰で、説明会で風邪をひいては洒落にもならない。
1テーブル2人がけで、椅子ごとのひざ掛けがあったので、1人参加ゆえ1枚は脚にかけ、1枚は肩に掛け、で防寒対策。
それでも全然防げなかった。
途中退席するわけにも行かず、ひたすら耐えるだけ。
途中、書類記入や押印があるので、その時に小刻みに体を動かし、凌ぐ・・・。
(って、何のレポートか分からなくなってしまった。)
とにかくその場で種々の契約書や委任状を実際に記入・押印する。
その数がかなりの種類・枚数になるので、時間のかかること。
指定金融機関(信金)の口座開設手続きも加わり、なんと4時間近い説明会になってしまった。
しかも、結局その日には1通も提出せず、すべて持ち帰り、自宅で記入・捺印し、入居日に持参するように、と。
ならば、もうちょっと別のやり方もあっただろうに。
まさにテリブル・ブルの日に。

以下の画像の書類リストが、一部関係のないものも載っていますが、特養入居に当たって取り交わし、提出を求められた契約書・委任状その他の書類一覧です。

⑤の<契約書>の正式名称は、「地域密着型介護老人福祉施設入所者生活介護 利用契約書」という長い
もの
②の<車椅子等について>は、施設で購入斡旋をする車椅子などのリストと購入に付いての書類
⑧の<委任>状は、施設が本人・後見保証人に代わって手続きする公的申請の委任について
(12)の<預り証>は、銀行口座通帳、健康保険証、介護保険証その他施設が預かる証書など一式の預か
りについて
(17)の<意思確認書・委任状>は、銀行口座からの利用料引き落としについて
特養ならでは、の事項が、
(13)の<胃ろう実施説明・同意書>
(15)の<看取り介護指針についての確認、急変時や終末期における対応に関する確認書>
の2つですね。
こういうことについて、事前にしっかりどうするか考えておく必要があるわけです。
胃ろうは要請しないとして現状届けました。

当施設には、大きな仏壇が備え付けられています。
これは、特養では看取りが行われることが多いことを示す現れと理解したものです。
なお、④の<料金表>は、当特養の利用料金表で、以下の表です。
そこになぜ要介護1と2が記されているのか、特養は要介護3以上でなければ利用できないはずなのに、その理由は聞き損なったままです。

なお、入所日が5月1日と決まったことを電話で連絡を受けたのが3月26日。
4月7日にその旨受け取った書面は、このような内容のものでした。

入所前の荷物搬入は原則認められないということだったのですが、お願いして、前日4月30日に、衣類中心に一部の荷物を搬入。
そして翌5月1日朝、予約してあった便利屋さんとサ高住で落ち合い、TV・TV台、タンス、椅子、ミニテーブル、その他衣類・日用品類等残りの物を搬出し特養に搬送・搬入と配置・整理を行い、受け入れ体制完了。
午後再度サ高住に行き、手配してあった介護タクシーに義母を乗せ、5年間生活した施設に別れ。
義母もお世話になりました、と施設長にしっかりと御礼の挨拶。
それなりに感無量でした。
私は自分の車に乗り込み、一緒に特養へ。
そして無事、14時半頃に、到着・入所。
持ち込んだ荷物類を、一通り整理し、引き継ぎ。
本人確認のコミュニケーション後、専従の看護師が、検温・血圧測定、褥瘡の状況確認と処理など行うなか、背中にも褥瘡がで来ていることを教えてくれ、同時に処置。
その間、書類等の確認、これからお世話になるケアマネジャーからの5月度のサービス計画の説明受け、看護師との治療など看護に関するコミュニケーションなどを手早く実施。

こうして特養申込みからこの日までの慌ただしくも、私達夫婦にとっては、一つの夢の実現をめざしての日々、その物語りの記念すべき区切りの日を終えたのであります。
当施設の男性施設長には、入所申し込みからこの日まで、親切丁寧に対応して頂けました。
何よりも、こうして長期戦を覚悟していた特養入所が、こんなに短期間で、しかもスムースに実現したことに対して感謝の念でいっぱいです。

さて、義母にとっては、新しい施設・環境での生活の始まり。
骨折以降、医師の作成文書に「全身衰弱しています」という状況下での環境の変化。
いよいよ老衰の歩みが加速する段階に入っています。
マイナスのことが多く、プラスになることがほとんど期待できない生活になるわけですが、それは、夫婦とも70歳を超えた私たち自身のこれからを重ね合わせて考える日々になるわけです。

次回は、入所して2カ月余経過する日までに起きた、新しい環境・施設での出来事・変化などを振り返ることにします。

(以上2020年7月9日、記)

※前回の記事に戻ります:93歳から98歳まで、義母の5年間のサ高住生活総括 | 介護終活.com
※次の記事はこちらです:コロナ禍、緊急事態宣言下における面会禁止など特養入所3ヶ月の生活状況

実際に受け取り、活用された資料を用いた回想記です。
5年前のサ高住入所時に手続き・手順の上で、似通った経験をしたのですが、2020年が明けてすぐのこの時期は、はっきりと記憶に刻み込まれている、新型コロナウィルス感染症が日本に持ち込まれ、急速・急激な広がりをみせたことで、まったく異常な施設生活と介護生活を強いられるきっかけになったわけです。
サ高住から特養への転所・転居は、私たち夫婦にとっては、ある意味ほっとできたことではあったのですが、これ以後義母が亡くなるまで続いたコロナ禍および緊急事態宣言の影響は、サ高住での経験で想定していたものとは大きく異なるものとなりました。
ただ今回の回想では、その影響については、入所説明会の日の状況の報告に限られています。
義母にとってこのコロナ禍における特養での生活がどうであったかは、面会禁止期間がほとんどだったためと、老いと衰えが急速に進んだこともあり、聞く機会はありませんでした。
サ高住生活の時期は、ほとんど週に1回は何かを届けていたため、コミュニケーションも少しはできたわけですが、コロナ禍の特養は、私たちに、普通の特養生活をイメージさせることを不可能にしたわけです。
今は、そのことが残念に思えてなりません。

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