介護施設入所説得とサービス付き高齢者住宅入居準備|義母説得の背景

93歳義母の左脚大腿骨骨折・入院・手術、リハビリ転院。
退院後の自宅介護はムリなため、要介護認定申請を行いながら、介護施設探し、サ高住入所申込み。
回復期病院から示された退院期限も迫るなか、<要介護1>の認定もおり、サ高住のケアマネージャーさんのサポートも得て、入所決定と契約締結・諸手続きも進み、残す義母の説得と入所準備に向かう回想記です。

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1.同居する93歳の義母の骨折・入院・手術(2014年12月)
2.リハビリ病院転院と本格的リハビリ(2015年1月)
3.計画・目標リハビリに目処、しかし不注意からの院内転倒で、2月末退院勧告(?)
4.市役所への介護保険認定申請と市認定員による面談(2015年2月)
5.<要介護1>認定と介護保険被保険者証の受領(同上)
6.この間、長女(私の家内)の心身の不調が嵩じて種々検査や診察を受け
自宅介護不可能と判断(2015年1~2月)
7.介護施設資料収集と見学、入所希望先決定と申込み(2015年1~2月)
8.義母への施設入所の必要性の説明と要請(きつい拒否)(2015年2月)
9.希望先施設介護相談専門員による本人面談とリハビリ病院とのコミュニケーション(2015年3月)
10.受け入れ日及び退院日の決定(2015年3月)

このように推移し、入所日が3月下旬となったことから、その時期まで、リハビリ病院への入院期間が延びました。

その間、1月は1週間に3回ほど、2月は2回ほど、洗濯物の受け取りと運搬を私が担当。
2月に入ってから、義母には、私から、要介護の認定がおりたこと妻(娘)の心身の状況が悪く、自宅で介護ができないこと。娘の健康を考えてもらい、義母には介護施設に入所してもらいたい旨伝え、理解してもらえるよう説得を試みました。

90歳まで生命保険の外交をやっており、70歳代に一度脚を骨折し、ボルトが入っている状態でも苦にせず仕事に従事。
リタイア後、昨年12月の反対の脚の大腿骨頚部骨折までもほぼ毎日街バスに乗って、ミニショッピングセンターにランチに行っていた義母。
気丈な上、他の健康面での不安も本人には年齢ほどにはほとんどないに等しく、介護施設はもちろんのこと、デイケアの利用も強く拒絶。
予想されたこととは言え、どうなるか、と・・・。
「誰にも世話は掛けない!自分でできる!」 の一点張り。

そうこうする内、入居日が少しずつ迫ってくるので、最低限、入居する部屋の備品・調度品を揃えるべく、ニトリに行ってTV台とミニ冷蔵庫用の台と一人用ソファを購入し施設への配送を手配。
ミニ冷蔵庫とハンガーラックをネットショップで注文し、同様施設宛配送手配。
施設の相談員の方には、21日(土)22日(日)に、自宅からの搬入を含め部屋の準備のために訪問する旨伝達し、上記の配送物品の受領をお願い。

先週12日(木)病院訪問時には、隣の市に住む次女夫婦宅の前にあるアパートに空き室があると聞いていたことから、次女にそのアパートを借りて住むと言ったと、私に話した義母。
未だに、強気と抵抗姿勢は変わらず・・・。
しかも、この12日の朝、次女を電話で呼び出してそのことを伝えていたことを知り・・・。
24日退院・同日入所を、この日の2日後の14日と勘違いし、なんとかせねばと呼びつけたらしいのです。
すごい執念です。

今週16日(月)に洗濯物を取りに行ったおり、「93歳の自分で自由に動くこともおぼつかないお婆さんに、だれがアパートを貸しますか?仮に貸してくれるとしても、保証人や身元引受人なしではムリでしょ。」と私。
「そうか、貸してくれんか。困ったな・・・。」
そして、施設のこと、入居してからのことなどをまた少し話し、帰宅。

そして19日(木)。
本人から、アパート入居がムリと悟ったこともあってか、ようやく「施設に入る」と・・・。

但し、「病院から施設に行く途中で家によって欲しい。持って行きたいものがあるので2~30分でいいから・・・」と。
こちらは、移動手段・移動方法に安全を期して介護タクシーを手配済み。
病室から病院前に着けた介護タクシーまで車椅子で移動しそのまま乗車。
施設で車椅子で降りて入居・入室。
こう描いていることなど、当然知りません。

「介護タクシーに乗るのはイヤだ!」のこれまた拒否。
理由を噛み砕いて説明し、入居後、いずれそのために家に戻る機会を必ず作ることを約束。

その他、施設から自由に外出できるのか?街バスで出かけたい・・・。
一人で外出できないなんて自由がない!
とまぁ、弱気になったのかと思っていたら、どうしてどうして、骨折入院前よりも自分で何でもできるという感覚・・・。
「誰にも世話にならない、なっていないつもりでいたけれど骨折したんでしょ!」と言うと「運が悪かった!」 と。

「でも、また運が悪いこともあるんじゃないの。」
「その時には、結局誰かの世話にならなきゃいけないでしょ?」
「・・・・・」

リハビリの報告書には、
(入浴について)「左下肢上げきれず介助を要す」
(歩行について)「補助具なしで転倒リスクあり」
と書いてあるよ、と・・・
「・・・・・・」
「個室だし、アパートを借りたつもりで利用してもらえばいい・・・」とか・・・。

まぁ何とかなだめて、サポートを約束して、とにかく、ホッとして帰宅し、妻に報告。
妻も、ホッ・・・!!!

そして3月21日(土)春分の日。
義母のテレビや衣類、身の回りの品などを車に積み、施設へ。
配送された備品などの梱包を解き、組み立てと配置などを・・・。
リーズナブルな費用で、まずまずの環境整備ができました。

ベッドは、介護支援事業所と介護施設サイドが業者に連絡を取り、業者が義母の入院先を訪問して、入居時に必要なベッドと歩行器を確認し手配済みであったもの。
歩行器は、入居当日には用意されているはずです。
引き出し5段のタンスは、施設で全室に用意しているものです。

作業でかなり腰に来ましたが、なんとか部屋の格好は付きました。
あと、ニトリで現品限りで安かった一人がけのソファも明日配達予定。
明日再度訪問し、家具類のガラス部分に補強用シートを貼り付けるなど残りの作業を行います。

そして週明け、退院前日もう一度病院へ行き、退院準備と、本人へ入居・入室準備ができていることを伝え、退院時間を確認。

昨年12月の骨折入院から、110日足らず・・・・
新生活スタートまで、もう一息!
そんな感じです。

(以上2015年3月21日、記)

いきなりのリハビリ病院からの退院期限通知に端を発した、義母の介護施設への入所手配と説得。
「自宅介護は不可能で介護施設に入ってもらうしかない」。
初めに結論ありきの施設探しと入所申請及び契約、義母の説得でしたが、なんとかぎりぎりで間に合ったわけです。
10年近い以前のことですが、こうして振り返ると、その時の思い出が蘇ります。
義母にとっては憤懣やるかたないことだったでしょうが、こちらも妻の状況を考えると、一歩も譲れない覚悟の上でのことでした。
以前にも述べましたが、介護をめぐる親子関係の在り方は、すべて異なります。
私たちの場合は、子どもとしての私たち夫婦が主導権をとってことを進めることができた、ある意味恵まれた条件下にあったと思われます。
ただ、説得するための事情・心情をストレートに伝えることができるのは、妻ではなく夫である私の役割であり私の責任でした。
その部分は、ある意味で第三者としての視点や思いをもって義母に伝えることが適切だったからと思っています。
そういう意味では、親子関係でのコミュニケーションには、当事者間の利害関係の枠内に収まらず、第三者の視点・客観的な視点や考え方もまじえることが必要なこともあるような気がします。
そういう話や議論が通じる、通じ合える関係を常日頃から意識しておくこともよいのではないでしょうか。

次回は、いよいよサ高住に入所・入居の日を回想できる「サービス付き高齢者住宅入居と入居時会議、そして入居後の心配事」をテーマにします。

※ 前の記事に戻ります:介護支援専門員さんのサポートと介護施設入居日決定|サ高住入所手続きへ
※ 次の記事に進みます:サービス付き高齢者住宅入居と入居時会議、そして入居後の心配事

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